静かな場所に少年が一人佇んでいた。
 顔に掛かっていた髪を風さらっていく。少年の表情はなにかを悔やんでいるような悲痛さをにじませていた。

「         」

 少年なにか小さくつぶやいたようだが、その声は小さすぎて誰も聞きとめることはできない。
 そして、手に持っていた安っぽい花束を置くと少年はそこを去っていった。





     *





「あ、おかえりー」

 ぼくは帰宅したレイに間延びした声をかけた。彼は憔悴した様子であったがぼくの声を聞くと少しだけしゃんとしてみせた。

「……ただいま、」

 ぶっきらぼうな声が響いてぼくは苦笑しそうになる自分を感じた。最初のころは挨拶なんかしてくれなかったっけ。
 馴染んだなぁと思い、だが、すぐにそれを打ち消した。ぼくはすっかり悪い方向にばかり走ってしまっている気がする。

 レイとの暮らしはすっかり板についてしまっていた。ぼくは未だに、殺して、と口にしていたが、それはまるで「おはよう」と同質のようなものになってしまっていた。レイももう怒ることはなく、ただ、呆れたようにするばかりだ。

 そろそろ、出て行くべきだろう。

 ぼくはそう感じはじめていた。レイはぼくを殺せないだろうし、ぼくももうレイには殺させたくなかった。
 それでも、死を乞う心は彼の手によって終わりたいと疼くこともある。けれど多くを知りすぎたぼくにはそれを願うことなど、もうできやしなかった。
 だったら、このままレイと一緒に生きるのはどうだろうか。ぼくはそんな甘い幻想を抱いたりもした。もしかしたら、それは案外簡単に叶ってしまうのかもしれないが、ぼくには無理な話だった。楽しければ、心地よければ、その分だけその思いは彼女へと繋がってしまうのだから。

 そして、彼女を思うぼくはまだ死にたいとわめくのだ。

「あ、レイ、夕飯作ったけど、食べれる?」
 
 レイはぼくを一瞥すると、いらない、と首を振ってそのまま自室へと行ってしまった。それを見ながら、ぼくは自信作だった今日のシチューを残念そうに見た。

(まぁ、明日でもいっか)

 そう思うとぼくは自分のぶんだけをお皿に取った。

「ん、おいしい」

 言いながら、ぼくは笑った。すっかり料理が上手くなった自分が可笑しかったからだ。そして、彼女にも食べさせたかったなあと思った。

 彼女が死んでから、一年が経とうとしていた。もうすぐ命日だ。ぼくは一年もずるずると生きていた自分を感じながら、もしかしたら、死ぬなら同じ日にしようと無意識に思っていたのかもしれないと感じた。

 墓参りに行ってみようか

 ぼくはふと思った。彼女が死んでからぼくは一度も墓参りなど行ったことがなかった。彼女のお墓を見るのが辛かったのもあるけれど、そんなところに彼女はいないと思っていたからだ。それでも彼女の身体はそこに眠っているのだ。そう思うと無償に会いにいきたくなってきた。

 ぼくは彼女の死体を目にしていない。葬式には参列できずに遠くから見ていただけだったし、彼女の死因を噂する声を聞くのが怖くてすぐに逃げ出してしまったのだ。だから、この目でちゃんと彼女の死を確かめられずにいた。
 これで生きていたらぼくはとんだ大バカものだな。ふっと笑いながらそんなことを想像した。でも、現実はそんなふうに上手くできてないのだ。奇跡みたいなハッピーエンドは用意されていない。
 だけど、ちゃんと確かめる必要がぼくにはあるような気がした。そこには絶望しか横たわっていなくても、ちゃんと、受けとめる必要があるはずだ。
 そうしないと、彼女はもうぼくを笑って抱きしめてくれないような気がしたから。



 次の日。ぼくは墓参りに行くことにした。さすがにクリプタの街を一人でうろうろするのは気が引けたのでレイに同行を頼むことにした。しかし、レイはいつもなら起きてくる時間になっても起きてこなかった。ぼくは温め直したシチューを持て余して、不安になりはじめた。
 一時間経ってもレイは起きてこなくて、さすがに心配になったぼくは彼の部屋へと足を運んだ。

 ――コンコン

 控えめに扉をノックした。しかし、部屋の向こうは静けさが広がるばかりで物音ひとつ聞こえない。
 そんなに疲れていたのだろうか。寝かしておくべきかと思ったけれど、レイはめったに寝坊などしないので不安が過ぎり、先ほどよりも強く扉を叩いた。

「レイ?」

 声も掛けてみるけれど、やはり返事はない。ぼくはどうしたものかと思い、試しにでドアノブに手を掛けてみた。すると、

 ガチャリ、とそれはあっさり開いてしまった。

(うそ、)

 ぼくは驚く。レイはいつも部屋に鍵を掛けている。それはぼくが知る限りでは欠かされたことはなかった。
 しかし、開いてしまったのだから仕方ない。ぼくは恐る恐る足を踏み入れる。すると、そこには。

「え……、誰もいない、」

 目をしばたいてゆっくりと部屋を見回してみるが、やはりそこには誰もいなかった。
 はぁ、とぼくはため息を吐く。なんだいなかったのか。朝から心配していた自分がばかみたいで、少し恥ずかしかった。
 レイの部屋はベッドとパソコンの置かれた机以外なにもなかった。リビング同様でとても質素でベッドのシーツが乱れていなければ生活感など一切感じさせなかっただろう。
 こんな時間にレイはどこに行ってしまったのだろうか。レイは勝手にふらっといなくなることはたまにあった。しかし、ぼくが起きたときにはすでに出かけた後のはずだから、夜中に出かけたことになる。さすがにそんな時間に出かけることはなかった。

 なにかあったのだろうか。

 ぼくはレイの身を案じながらも、そこはぼくの思い及ばない領域であることを知っていた。
 レイの仕事を知ってからもぼくは彼にそれを問いかけることはしなかった。勘がいいレイのことだから、もしかしたら気づいていたかもしれないがぼくは素知らぬ顔でいた。そのほうがぼくたちのバランスは保たれていたから。
 レイがいないとわかったぼくは墓参りに行くすべを失ってしまった。一人でとも思ったけれど、やはりクリプタの街は危険だ。殺されるならともかく、下手に拉致されてとんでもない場所へ売り飛ばされたらたまったものではない。
 さて、どうしたものか。そう思い悩んでいると、一人の顔が浮かんだ。

 サザナミさん

 そう思うと同時に玄関の扉が開いた。

「やぁ、おはよう!朝ご飯を恵んでくれたまえ!」

 響きわたる声はこの家の家主ではなく、相変わらず無断で侵入してくる男だった。

「おはようございます」

 ぼくは絶妙のタイミングで現れたサザナに挨拶を返した。そして、にっこりと微笑んだ。

「サザナミさん、ぼくと一緒に墓参りに行ってくれませんか?」

 普段ならありえない熱烈な歓迎振りに男は首をかしげた。






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