やさしい日々はあっさりと終わりを告げた。
きみはさよならも云わずに死んでしまった。
ぼくにすべてを残して、ぼくのすべてを奪って、
どこか遠くへいってしまった。
彼女は幸せになったのかな、
幸せだったのかな、
残念ながらその答えを誰も持ち合わせていない。
葬式で囁かれるすべてが正しくて間違っていたことだけは確かだとぼくは思った。ぼくにだって知りえない彼女の真実を誰が持っているというのだ。いや、ぼくだからこそ持っていないのだろうか。恋は盲目なんて言うしね、
恋、そんな甘美なものだったのか。今になってはもうよくわからない。じくじくと腐ったような愛と寄り添っていただけかもしれないし、若さがもたらす滑稽な幻想だったのかもしれない。
それでも、ぼくらは唯一無二だと思っていた。
彼女はいつも言っていた。朝、体温を分け合った朝、笑いながら、
ああ、今日も絶望を食してしまったわ
そう言っていた。その度にぼくは、うん、とうなずくのだ。
――ねぇ、なんできみは笑うの、そんな泣きそうな顔をして、
朝がそんなに悲しい?
太陽がそんなに嫌い?
はじまりがそんなにも憂鬱?
世界がそんなにも憎い?
世界はそんなにもきみにやさしくなかったの?
(ぼくじゃだめだったの?)
*
レイの家にぼくが居座ってから十日が過ぎた。
ぼくは毎日のようにレイに「殺して」と繰り返し、繰り返してはその度にきつく睨まれて怒られた。と、いうよりもレイを憤りさせた。
レイはぼくが懇願すると、冷静さを失う。いつもみたいにクールじゃなくなる。反してぼくはといえば、死を乞うときだけは冷静さを見出すことができた。穏やかといってもいいかもしれなくらいだ。
ぼくらの間にはばかげた温度差だけが横たわり、そして平行線のままその話は終わる。それは、まるで、おままごとみたいだった。
そして、ぼくとレイの同居生活もおままごとみたいだった。生活能力の低いぼくはレイに多大なる迷惑をかけて、悪態を付かれ、怒鳴られ、ぼくは申し訳なさに駆られて頭を下げた。
どうやらぼくには死を口にすることしか能がないらしい。
最低だ。どうしようもない。いっそ笑えるよなあ、うん、笑える。ただのバカだ、うん、知っているけど。
そんなふうにぼくたちはおままごとを繰り広げていた。
でも、ときどきレイは暗い面持ちで出掛けていった。ぼく以外の誰かを殺すために。ぼくは詮索など無粋なことはしないけれど、それはわかった。
罪悪感も悲痛さも滲ませず淡々と出かけて行き、彼は帰ってくる。血の臭いもさせず、きれいな手のまま、それこそ服ひとつ汚さずに。
死神はいったいどうやって死をもたらすのだろうか。
ぼくは気になってしょうがなかった。でも、それを聞くことはしなかった。いずれわかる。最期にわかればいい、そう思った。
そう思っていたのに、
「レイくんはね、心臓に手を当てると機能停止にできるんだよ。どういう力かはぼくも詳しくは知らないんだけどね。ただ、ちっとも苦しくないらしいよ。安楽死ってやつだね。でもさ、心臓止められたら苦しいと思うんだけどねぇ。不思議だよねぇ」
無粋で無神経でどうしようもない男はそう語った。ぼくは内心で悪態を吐きながら、項垂れた。この人のことはやはり好きになどなれそうにない。
「……サザナミさん、あなたには慎みとか配慮とかないんですか、」
「ん?やだなぁ、ハルカちゃん。ぼくほど紳士な人を捕まえてそんなこと聞くなんて」
きみのほうが配慮がないね、とでもいうようにサザナミは微笑んだ。だめだ、この人にはなにを言っても意味がない、ぼくはそう思いひっそりとため息を溢す。
サザナミはちょくちょくレイの家に来た。そして、レイがいないとぼくを話し相手にしてはぼくが聞きたくもないことを勝手に喋りだし、ぼくを不快にして帰っていく。
そして、今日もまたこの男はぼくのもとを訪れたのだ。
「でね、ハルカちゃん。そんなレイくんはなぜ自殺のお手伝いなんてしてると思う?」
サザナミはぼくの思いなんて知ったことではないらしく、勝手に話を進め始めた。いい加減やめてほしい。
「やめてください。聞きたくないです」
「え、なぜ?気にならない?」
「なりません。なったとしても知りたくありません。」
「ふーん……どうして?レイくんのつらい事情を知ったら"殺せ"なんて迂闊に言えなくなるから?」
「……っ、そんなんじゃ、」
ない。そう言おうとしたぼくの口はそれを声にはしてくれなかった。
図星だった。レイが人殺しを嫌々しているのは一目瞭然だったし、現にレイはぼくの願いをはねつけている。そんな彼にぼくは身勝手にもまたひとつ重荷を背負わせようとしている。
ひどいことだ、そんなことはわかっている。
「まぁ、そうだよねー。自分を殺させるだろう相手のことなんか知りたくないよね。つらくなるものね。だけど、すごく身勝手だね。最低だね」
ぶす、ぶす、ぶす、サザナミはぼくの心を覗いたように的確に毒を吐いていった。くそったれ。
「ええ、わかってますよ。その通りですよ。最低ですとも!」
ぼくは半ばやけくそになって叫ぶ。
「ふふっ、認めるんだ。だったら、聞きなよ。レイくんのつらーい事情を、ね、」
ああ最低だ。ぼくも大概に最低だけれど、この男はもっともっと最低だ。
死神の力は先祖代々受け継がれるものらしい、そうサザナミは語りはじめた。しかし、力の概要はサザナミも詳しく知らないらしく、そんなかんじと言ってそれ以上は語らなかった……いや、語れなかったようだ。そして、淡々とした口調で重苦しい話を紡ぎ出した。
死神の力は安楽死をもたらす。その力は病気で苦しむ人を救った。苦しむことなく送りとどけることができる……とても哀しい力だけど、それは安らかな眠りを導いてくれるものだった。その力は崇められ、そして、同時に畏れられてもいた。
しかし、時代は変わっていく。現代の医療で助からない病気は激減していき延命する人々が増えた。そして人口は膨大に膨れあがり、地球は人々でひしめいていた。そんな中で苦しんで生き続けることはナンセンスだという思想が広がり始め安楽死の合法化が囁かれはじめていた。
そして、5年前。安楽死は合法化されて、一定の基準――延命治療をしても助かる見込みがない場合など――を満たせば死を選択することができるようになったのだ。死神の力など借りなくとも、薬を投与することで安らかに眠れる。
死神は力をもてあまし、だけど、人の命を奪うことはなくなり、穏やかな生活を送ることができるようになる――はずだった。
しかし、死神の特殊な力はそうやすやすと彼を見逃してはくれなかった。
政府は――もちろん表だってではないが、彼の殺した死体がひどくきれいな状態で死亡することに目をつけたのだ。きれいな死体からはきれいな臓器が摘出できる。それは移植するには打って付けだった。
そして、政府は自殺援助という仕事を彼に与えた。
安らかな死を与えてくれる死神の噂はクリプタなどの裏社会からじわじわと広がり、巷でも噂されるようになった。尾ひれがつき、とんでもない噂になっているものもあるが、それは大成功を遂げた。
こんな時代だから、死にたい連中はたくさんいて彼のもとには連日のように自殺援助の依頼が来るようになった。そして、彼は死にたいとわめく連中をひと思いに殺していった。
その死体は政府の医療機関に引き取られ、移植の臓器として使用された。
「………」
サザナミは話を終えるとぼくの様子を窺うように顔をのぞき込んできた。さすがにそこにふざけたものはなかったけれど、ぼくはただその事実を飲み込むのに必死で、サザナミがどんな表情かなんて気にしていられなかった。
重たい鉛がぼくのなかに沈み込んでいく。
知らなければよかったと卑怯なことを思った。知らなければバカな自分のまま「殺して」と請うことができたのに。
「レイは……なんでその仕事を断れないんですか?」
ぼくは呆然とした思いのまま、疑問を零れるままに発した。
「うーん……彼はいろいろやばいことをしてきているからねぇ。言うこと聞かないと殺されかねないんだよ。」
苦笑を浮かべるサザナミはどこか諦めたような顔をしていた。
「そ、うですか、」
ぼくはそう言うと黙り込んだ。じくじくと痛む胸を感じながら、ぼくは自分の惨めさを噛み締めた。
ずるくて、卑怯で、どうしようもない。
だけど、まだ性懲りもなく彼に言うのだ。
殺して、と。
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