ぼくが発した言葉は結構な破壊力を持っていたらしく、彼の精神を乱して、空気を乱して、そして、硬直させた。それはつまり、彼が死神であると無言のうちに肯定を示したことになる。ぼくは流れる重たい空気の重苦しさを感じながらも、歓喜に震える心を抑えられそうにもなかった。

 こんなにも簡単に死神に巡りあうなんて。

 まるで運命のようなものを感じながら、ぼくは、安らかな死だけを想像した。彼に殺される。それはとても幸福なことに思えてしかたなかった。こんなにもきれいな少年がぼくの命を奪うのだ。一体どんなふうに死神は命を食すのだろうか。

 (ああ、早く早く、殺してほしい!)

 きれいな顔を歪めた彼を見ながら、ぼくはそう強く願う。ああ、でも、殺すときは微笑んでいてほしい、と思った。そして、強く願うまま自然とすべり落ちてくる言葉を紡いだ。

「ぼくを殺して」

 にっこりとぼくは微笑んでいたかもしれない。しかし、彼はその全てに嫌悪と拒絶を混ぜて、今 度こそぼくに軽蔑の眼差しを向けた。

「出て行けっ」

 苦々しく吐き出された言葉はぼくの耳に届いたけれど、それを受け入れる気はさらさらなくて首を横に振る。

「出て行けっ」

 いやだ、とぼくはまた首を振る。

「っ、出て行けッ!」

 彼の声はだんだん大きくなり、最後には怒鳴りつけるそれに変わった。対してぼくは淡々とそれを撥ねつけた。
 そろそろ無理矢理にでも追い出させるかな。彼がついには言葉を失くして睨みつけるばかりになったころ、ぼくの中にそんな不安が過ぎる。沈黙が広がっていく。

 すると、――突然

「ふっはっはははははっ!」

 サザナミが笑い出した。場違いなんてものじゃないその笑い声にぼくは驚きに身体を揺らし、彼もサザナミを凝視して固まった。
 傍観者に呈していたのであろうサザナミの存在をぼくも彼もすっかり忘れていた。だから、驚きは余計に大きくこの場に波紋を起こす。彼は無言のままサザナミを睨みつけ、ぼくは、え、あ、と意味の持たない声を発した。
 しばらくして、やっと笑いが収まったサザナミは息を途切れさせながらぼくたちのほうを見た。

「ふっ、くっ、ごっ、めん、ごめん。レイくんのまじ切れとか初めて見たから、つい可笑しくって、」

 そう言うとサザナミはまた可笑しさがぶり返したようにまた笑いを漏らした。ぼくは意味がわからず首を傾げる。普段怒らない人が怒るというのは笑うことではないだろう。ひどく滑稽な場合はともかく、彼が怒っている姿は人を竦ませる怖さがあった。
 それに、たとえ可笑しくても普通は笑い出したりしないものだろう。だか、この人は普通ではないようで笑ったことを謝ったものの悪びれた様子はあまり見えない。仕舞いには「ん、どうぞどうぞ、続けて」と、言い出す始末だ。
 ぼくらは二人して表情を引きつらせた。しばらくよくわからない空気が流れたが、彼はゆっくりと平静を取り戻すともう一体何度目になるのかわからない言葉を発した。

「……出て行け、」

 その声は静かなものだったが、確かにまだ怒気を含んでいた。

「だって、ハルカちゃん、」

 するとサザナミはまるで自分は関係ないとでも言うようにぼくに向かって微笑むと、玄関を指差した。――プチリ、と何かが切れる音をぼくは聞いた気がした。

「おまえも出て行けっ!」

 彼が叫ぶと、サザナミはわざとらしく驚いてみせる。

「ええぇ、ぼくも?なんで?」
「……・っるさい。いいから二人とも出て行け。今すぐ消えろ」
「いやだって言ったら?」

 サザナミは彼を逆撫でするように愉しげに目を細めた。
 この人はなにがしたいのだろうか。ぼくはサザナミの言動を理解できずにいた。でも、そんな不可解な男のおかげで彼の関心はぼくから少しだけ外れはじめて、無理矢理追い出させるという展開はまだ迎えていえずに住んでいる。だが、時間の問題のような気がしてならなかったし、なにより彼が余計に怒ってしまった。――でも、

 怒りにまかせて、殺してくれたりしないだろうか

 ぼくはぼんやりとそう思う。そして、ひっそりと生きている自分を噛み締める。

 生きている、
 まだ、生きている

 そう思いながら、でも、それをおくびにも出さずにぼくは彼とサザナミを見た。彼は苛立ちと憎しみを込めてサザナミを射抜いていたが、それ以上言葉を重ねることはなかった。
 サザナミはそれを軽く受け流して、さらに愉しさを深く滲ませていった。そして、ふっと笑いを漏らす。

「殺してあげればいいのに」

 ねぇ、ハルカちゃん?そう言いながらサザナミはぼくに視線を向けた。ぼくは戸惑いをにじませて眉根を寄せた。

「ふざけるなっ!」

 忌々しそうに彼は吐き出す。その表情はどこか辛そうで、ぼくは少しだけ胸が痛むのを感じた。
 なんて、安い胸の痛み。
 身勝手な思いを抱きながらも、ぼくはまだ誰かのために痛む胸を愛おしく感じて、ひどく利己的な自分が人間らしくて心地良く思えた。

「レイくんはさっきからなにをそんなに怒っているんだい?自殺援助がきみの仕事だろ?」

 言外に多くを含ませてサザナミは言う。

「オレは……っ」

 そう言ったきり彼は言葉を彷徨わせてしまった。そして、そのまま続きは彼の声になることはなく飲み込まれ、また同じ言葉を吐き出すだけとなった。

「……出て行け、頼むから、出て行ってくれ」

 疲れをにじませた声だった。でも、ぼくはそれにうなずくことはできない。ただ壊れた人形のように首を横に振る。

「出て行けって……ここに居たってオレはおまえを殺さない、絶対に、」
「なんで?」
「気まぐれに付き合う気はないんだよ、」

 ひどく冷めた瞳だった。でも、それ以上に悲しげだった。きゅうっとぼくの胸はまた安っぽく痛み、でも、それでも、ぼくは、

「気まぐれなんかじゃない、きみがそう思えたら殺してくれる?」
「そんな日は来ない」
「もしも、もしも、来たら?」

 彼は何も言わなかった。そして、また「出て行け」そう紡ぎだそうとしたが、ぼくはそれを遮ると、我ながら真摯だと思える声を出した。

「じゃあさ、きみがわかってくれるまでぼくは待つよ。だから、しばらくここに居させて。迷惑は……あまり掛けないようにするから。本当に少しの間でもいいから。だから、お願い。レイ、お願いします」

 レイ、ぼくは初めて彼の名前を口にして頭を下げた。
 しばらくすると、ぼくの頭には沈黙が降りそそぎはじめる。拒絶だけをひしひしと予感した。
 これでダメだったら帰ろう。それか、クリプタの街をうろうろしようか。そしたら、見知らぬ誰かが終わらせてくれるかもしれない。ぼくはそう心に決めて、彼の言葉を待った。
 それは、まるで宣託を待つような気分だった。

「……勝手にしろ、」

 そして、ぼくの頭には彼のやさしい気まぐれが降り注いだ。
 え、と顔を上げたぼくは間抜け面で彼に聞き返したが、彼はただ諦めたようにため息をこぼすだけだった。間抜け面のままのぼくは状況をゆっくりと理解して、喜びに顔を綻ばせた。

「うん!レイ、よろしく!」

 そう言ってぼくは彼に手を差し出した。しかし、その手は彼に握られることはなくて、宙を彷徨ってしまった。
 でも、ぼくはそんなのちっとも構わなかった。
 ただ、嬉しくて、でも、少しだけ、本当に少しだけなぜか悲しくて、へたくそに笑った。

 そして、ふはっ!と、サザナミが心底愉しそうに笑った。





next