少年が出かけていってから半日が経過していた。目が覚めたあとのぼくの体は薬のおかげかだいぶ動くようになっており、軋む体を引きずりながら部屋の外にでてみた。 部屋の外は廊下が左右に伸びていた。左の突き当りには彼が言っていたようにトイレがあり、その手前、ぼくが寝ていた部屋の左隣には部屋らしきものがある。らしきものというのは、鍵が掛かっていて中は見られなかったからだ。もしかしたら、彼の自室かもしれない。
 右側の廊下を進むと、リビングと簡素なキッチンがあった。広さは十分すぎるくらいある。でも、あまりにも物がなかった。フローリングの床の上には小さな机があるだけだ。ソファーすら見当たらない。生活感を一切感じさせない部屋だった。
 リビングを出て直ぐに玄関の扉があった。試しに扉を開けてみるが開かない。どうやら鍵が掛かっているようだ。内側からなら開錠できるだろうと方法を探してみるが、IDを打ち込まないと開かない仕組みになっているようだった。
 室内の鍵にパスワード。ぼくは不思議に思ったが、用心深いのだろうかと気にとめないことにした。それにたとえ鍵が開いていたところで出て行く気はないので構わなかった。

(それにしても、これじゃあ、出て行くなとか誰か来ても開けるなとか言う前にそんなことできないじゃないか、)

 ふと、ぼくの中に少しだけ不安が過ぎる。これじゃあ、まるで、
 軟禁……
 いやいや。ぼくは首を横に振ると、すぐにその考えを打ち消す。彼になんのメリットがあるというのか。
 そこまで考えてぼくはその考えを放棄した。誘拐されたと決まったわけではない。むしろ、助けられた身である。この考えはぼくの妄想にすぎない。きっと知らない場所にいていらぬ心配が膨らんでいるのだろう。

 一通り家の中を歩き回ったぼくは空腹を訴える体のために食事をすることにした。キッチンにはカップラーメンやパスタやグラタンなどのレトルト食品があった。
 冷蔵庫には飲み物が入っているだけで食材は見当たらない。どちらにせよぼくは料理など作れないので食材など必要ないのだが。勝手に食べていいのかと一瞬迷ったけれど、出かけに好きにしていいと彼は言っていたのを思い出す。ぼくはお湯を沸かしてカップラーメンを食べた。



 少年はぼくがこの家での3回目の食事を済ませた後になっても帰ってこなかった。もうすぐ丸1日が経つ。しばらく帰って来られない、と言っていたが、しばらくとは一体どれくらいなのだろうか。さすがに不安が過ぎる。食事には2、3日なら困らないだろうがそんなに長く見知らぬ場所に長居などしたくはなかった。
 それに、ここはクリプタなのだ。

 クリプタ。
 ここは死に場所に最適だろうか、
 ほんとうに?
 でも、ここなら、
 きっと、ちゃんと死ねる。
 ここには死神がいるから、
 ちゃんと死ねるはずだ。
 でも、ほんとうに、
 ほんとうに、

 死 に た い の ?



「やぁ、レイくんお久しぶり !」

 突然、声が響いた。ぼくはビクリ、と体を震わせたると、ちっとも状況が掴めないまま目を白黒させた。動揺するままにゆっくりと視線を声が聞こえた玄関に向けると、そこには見知らぬ人物が立っていた。
 しばらくすると、思考が現実に戻ってくる。
 玄関に立っていた人物は黒のパンツに黒のブーツ、黒のマント、そして黒の帽子という全身を真っ黒な服で包んでいた。いかにも「怪しい」というレッテルをベタベタと貼り付けている。性別はきっと体格からして男だろう。目深に被った帽子のせいで顔はよくわからないが、スラリとした長身でスタイルはよかった。年齢はさすがにわからないが、ぼくより年上であることは確かだろう。
 その男はぼくを見つけると、おや?と言って首を傾げた。だが、すぐにおもしろそうに口元を歪めているこちらに近づいてきた。

「こんにちは。はじめまして」

 男はそう言うとぼくに向かって手を差し出した。ぼくはその意味を図りかねて、その手になにかあるのだろうか、と男の手を凝視していたら、男はぼくの手を取って自分のそれに重ねてきた。そして、もう一度「こんにちは」と口にした。どうやら握手を求められていたらしい。ぼくは混乱する頭のまま、どもりながら挨拶を返した。

「……こ、こんにちは、」

 男はその挨拶に満足したのか手を離すと、矢継ぎ早に言葉を並べはじめた。

「きみはお客様かい?めずらしいねぇ。レイくんが客を家に上げるなんて。そんなに重要な客なのかい?……とても、そうは見えないけど。まぁ、見かけでの判断ほど当てにはならないからね。ふむ。それにしても、もったいないね。まだまだ若いのに、まぁ、止めないけども。ぐっすり寝て起きれば気が変わるかもよ。……と、余計なことを言ったね。で、当のレイくんはどこかい?」

 ぼくは半分も理解できなかった。この男は誰なのだ。敵、味方、どちらなのだろう。いや、まず敵と味方の基準すらわからない。キャク、レイクン、ぼくの頭は断片的に単語を捕らえただけで内容を噛み砕けやしなかった。それ以前にこの男は何か勘違いをしてそうだと思った。そんなふうにぼくますます混乱していると、男もなにか感じ取ったのか、またもや首を傾げた。

「おや、もしかして客じゃないのかい?」
「え、と。一応、ここの人の許可は貰って置いてもらっているけど……」
「え?……ああ、そういう意味ではなくてね。別にきみが不法侵入だなんて思ってはいないよ。この家に入るのは容易くない。それに入ったところで盗むものもないしね」
「ああ、はぁ」

 ぼくは曖昧に返事をしながら、思う。だったら、この男はどうやって侵入してきたのだ。いや、それとも。

「あの、もしかして、ここに住んでいる人ですか?」
「え、ぼく?いやいや、違うよ。レイくんとは知り合いだけどね」
「そうなんですか、」
「ええ、そうなんですよ」

 男は愛想の良い笑みを浮かべた。レイクンとはきっと彼のことだろう。知り合いだから、きっとパスワードキーを知っていたのだろう。大いに疑う余地はあるけれど、嘘だとしてもぼくにはどうしようもなかった。それに、確かにここには盗むものなどなさそうであり、キーを知らない人が易々と侵入できるような鍵でもないはずである。だから、ぼくはとりあえず男の話を信じることにした。

「それで、きみはどうしてここにいるんだい?」

 今度は男がぼくに質問する。

「どうして、」

 ぼくは男の問いを反芻する。どうして、なのだろうか。拾われた、助けられたのだ。そうだ、それが答えだ。でも、そんなこと望んでいない、望み、そんなものは叶わないためにある。だから、これでいいのかもしれない、だから、ここにいるのかもしれない、
 ぼくは思考が傾き始めるのを感じて、そっと首を振る。いけない。まともじゃない。まだ頭がぼーっとしているせいだろう。男はぼくの返答を待っているのだろう。視線を感じる。ぼくはできるだけしっかりした声を出すように勤めた。

「倒れているところを助けられたんです」

 声は震えていなかったと思う。でも男は顔に驚きと一緒に不審さにじませた。

「レイくんに?」
「ええ、そうです。あ、でも、レイくんというのがぼくの思っている彼と同一かはわかりませんが、」

 今現在のぼくには助けてくれた少年がレイくんなのかを確かめるすべはない。

「んー、この家に居たってことは十中八九レイくんに間違いないと思うけど。へぇー、レイくんが人助けねぇ……、」

 男は心底意外だと思っているような口ぶりで話す。彼は人助けをするような人物ではないのだろうか。それとも、クリプタの住人というだけで人助けをすることは驚くべくことなのかもしれない。

「ふーん、そうかぁ。……ところで、その当のレイくんはどこにいるんだい?」

 男は今思い出したというように言う。

「それが、出かけてしまって今はいないんです」
「出かけて……ああ、」

 男はなにか知っている素振りを見せる。

「どこに行ったかご存知なのですか」

 ぼくは訊ねた。しかし、男はそれ以上はなにも言わなかった。まるで、知らないほうがいいと言っているように。ぼくは特に知りたかったわけでもないのでそれ以上の詮索はしなかった。



 "レイくん"の不在を知って男は帰宅――とはいかなかった。しばらくすれば帰ってくるかな、と言い勝手にお茶を入れはじめ、ついでにぼくの分のお茶も入れて、そして、ぼくの前に座った。それからかれこれ1時間が経過しようとしている。
 ぼくと男の間には広すぎる部屋には不釣合いな小さな机を挟んで、沈黙が漂っていた。ぼくは気まずさを噛み締めていたが、男にはちっとも気にした様子はなかった。そして、時々その沈黙を縫うように話しかけてきた。

「ねぇ、きみ名前は?」
「え……」
「な、ま、え」
「ああ、えっと、ハルカです、」
「ハルカ?へぇー女の子みたいな名前だね」

 男はそう言うとなにが可笑しいのか笑った。ぼくは複雑な思いを抱きながらもそれを聞き流した。
 会話のなかでわかったことは、男の名前がサザナミということと、服装は職業柄だということ――どんな職業かは聞かないほうがいいと思ったので知らない――、あと、この男は軽薄で信用できなそうだということくらいだ。
 正直なところうんざりしていた。病み上がりとはまた別の理由で頭痛が起こりそうだった。
 最悪だ、
 心の底からそう思い始めたとき、それは突然終わりを告げた。

「なにをしてるんだ」

 不機嫌そうな声がいきなり背後から聞こえてきて、ぼくは驚いた。声のした方向に首をひねって視線を向けると、そこにはきれいな少年がいた。

(気配しなかった気がするんだけど……)

 なんだか驚かされてばかりだ。ぼくはそんな場違いなことを思いながら不機嫌な顔をする彼を見つめた。すると、彼は先ほどよりも低い声で同じ言葉を繰り返した。

「なにをしてるんだ」
「え、あ、えーと……」

 ぼくはどう言うべきか考えた。そういえば誰も入れるなと言われていたと今さらながら思い出す。
 どうやら彼は相当に怒っているらしい。ぼくはとりあえず謝るべきだろうかと思いあぐねる。しかし、謝罪が口に上る前に彼はぼくに一瞥だけくれると、おまえじゃない、というように視線をすぐさま、変な来客者――サザナミに向けた。

「で、」
「で、って……レイくんは相変わらずだねぇ。もっと、まともな挨拶とかできないかな」
「黙れ、不法侵入者が」
「不法侵入なんて!失礼だね。ぼくはちゃんとハルカちゃんに入れても貰ったんだよ」
「ハルカ?」

 誰だそれ、というように首を傾げる彼にサザナミも首をひねる。

「誰って……きみが拾ってきたそこの少年じゃないか、」

 そう言いながらサザナミはぼくを指さす。そういえば先ほどの会話でぼくも名乗っていたことを思い出す。それにしてもちゃん付けはやめてほしい。

「おまえがこいつを入れたのか?」

 冷たい視線を受けてぼくは慌てて首を振った。

「ち、違うよ!なんか、勝手に入ってきたんだ……」

 ぼくの声は自然と小さくなっていった。なんだかひどく嘘くさい気がしてならない。いや、事実なのだが。しかし、そんなぼくの心配は杞憂に終わり、彼はそれをあっさりと信じた。そして、またもやサザナミに視線を戻す。
 しかし、睨みつけるような視線を受けらながらもサザナミから気にした様子は覗えず、それどころか愉しげにする始末だ。

「まぁまぁ、レイくん。そう怒るなよ。ぼくが勝手にお邪魔するのなんか、もうすでに日常だろう?」

 ね?とでもいうように首を傾げるサザナミ。気持ち悪い。大人の男、しかも黒ずくめの男がするポーズではない。
 レイはそんなサザナミに表情をさらに強張らせた。

「……帰れ」
「ちょっと、帰れって…!ぼくはきみを一時間も待っていたのに。その仕打ちはひどくないかい!」
「待ってろなんて言った覚えは微塵もない。とにかく帰れ。気持ち悪いから帰れ」
「そんな些細なこと気にしない……って、気持ち悪い!?」
「気持ち悪い、そして、気分悪いから、帰れ」

 彼はそう言い募ると玄関を指差した。出て行け、ということらしい。しかし、サザナミはそんな彼の態度など気にせずに立ち上がる気配すら見せない。それどころか、ひどい、冷たい、と文句を言い出す。彼はそんなサザナミに冷たい視線をくれている。

 そんな二人のやり取りにぼくはただ呆然とした。この二人はいったいどんな関係なのだろうか。知り合いらしいのはわかるが、親しいのかそうでないのか判断ができない。そして、サザナミを入れてしまったことをひどく後悔した。いや、勝手に入ってきたのだが。
 なにか言うべきなのだろうか。ぼくは居心地の悪さを打破するべく口を開こうかと思い悩んでいると、彼が諦めたようなため息を吐いた。

「……なんの用で来たんだ、」

 問いかけられてサザナミは彼のほうに視線を向けるとにっこりと微笑んだ。

「レイくんに会いに」
「…………しね」

 彼はボソっと物騒な言葉をこぼすと先ほどよりも深いため息を吐いた。言われたサザナミはひどいとまたもや文句を言っているが、彼はもう無視を決め込んだようだった。そして、ぼくのほうへと振り向いた。

「大丈夫か?」

 唐突な問いにぼくはなにに対して言われたのか分からなくて首をかしげる。

「体調だ」
「ああ……」

 そういえばぼくは倒れていた身なのだった。ごたごたしていてすっかり忘れていた。

「うん、もうすっかり平気だよ」

 ぼくはそう言って手足を軽く動かしてみせると、彼は安心したように少しだけ、本当に少しだけ微笑んだように見えた。

(うわぁ、)

 やっぱりこの人すごくきれいだ。ぼくは思わず息を呑む。そして、ふと思う。
 なんでこの少年はクリプタになんているのだろうか。殺伐とした噂ばかりの街に似合うとはとても思えなかったし、馴染んでいるようにも見えない。
 でも、噂しか知らないようなぼくが知りえない事情がクリプタにはあり、このきれいな少年にも同様に易々と立ち入れない事情があるのだろう。

 それにしても、なんで彼はぼくを助けたのだろうか。なんのメリットもなく、むしろデメリットのほうが多いはずだ。良心という言葉で片付けることも出来るだろうが、ここはクリプタだ。そんなものを持ち合わせている者が易々と生きていける場所ではないはずだ。

「ねぇ、レイくん。なんでハルカちゃんを助けたの?」

 すると、ぼくの疑問を汲み取るように少し不貞腐れたような声が響いた。

「ああ?」

 彼は煩わしそうに返事をする。

「ああ?って、レイくんますますガラの悪さに拍車をかけて……その顔で睨まれるとかなりきついって自覚ある?」
「知るか、」
「はぁ、まあいいけどね。不器用な愛だと思って受け取っておくよ。で、ぼくの質問にお答えを」

 サザナミはわざとらしくも恭しく彼に向かって答えを促すように手を差し出す。彼は余計な言葉に眉根を寄せたあと、面倒そうに口を開いた。

「……べつに、気まぐれだ」

 簡素な答えだった。そこにはそれ以上聞くなとでもいうような空気を纏っていた。しかし、サザナミはそんな空気を読もうとはしない。

「ふーん、気まぐれで人助け?なにか危ない薬でもやっちゃったの?」

 サザナミはどこか愉しそうであり、にやにやとした表情は人を苛立たせるには十分なものだった。嫌な人である。でも、彼はそんなサザナミになんの感情も篭らない瞳を向ける。

「そうかもな」

 そして、肯定を口にすると彼はニヒルに笑ってみせた。そんな彼は先ほどの微笑みを浮かべたときよりもぐっと大人びて見えたが、どこか強がりを含んでいるような違和感を覚えた。
 彼の反応にサザナミはくっと喉の奥で笑ってみせた。ぼくはこの人はどこまでも人をばかにしている、と不快感と呆れを抱いた。
 だけど、彼は気にする様子を見せずに、ただそのまま口を閉ざした。そして、この話は終わりを告げて、ぼくはサザナミの印象を悪くしただけで結局助けられた理由を知ることはできなかった。もしかしたら、彼の言った「気まぐれ」というのが本当のところなのかもしれない。
 そう結論付けたぼくは、広がり始めた沈黙にずっと聞きたかったことを口にした。

「あの、ぼくはいつまでここにいればいいの?」

 体調もそれなりになっていたのでそろそろ出て行きたいと思い始めていた。二人の視線がいっせいにこちらを向く。彼は一瞬だけ逡巡する素振りを見せて口を開いた。

「ああ、帰るなら送っていく」

 さらりと口にされた言葉にぼくはなぜか安堵して、人知れず息を吐いた。引きとめられるかもしれないと、少しだけ思っていたせいかもしれない。

「ううん、いいよ。一人で、」

 そして、ぼくは彼の申し出を断った。彼は驚いたように青とグレイが混じった瞳を瞬かせる。

「は? なに言って……、わかってると思うが、ここは危険だ」
「ん、知ってる。でも、行きたいところがあるんだ」

 正確には会いたい人だけど、ぼくは胸中だけでそう付け足した。本当はそんなつもりじゃなかったのでけれど、せっかくクリプタに来たのだ。探してみようと思った。

「どこへだよ」

 彼の声は幾分か尖っていた。怒っているのだろうか。それとも、心配しているのだろか。

「答えなくてはいけない?」

 できるだけ冷たい声を発するようにぼくは勤めた。うまく拒絶できているといい。これ以上は踏み込まれたくないし、踏み込みたくもなかった。

「……わかった」

 そんなぼくの雰囲気を感じ取ってくれたのか彼は、きれいな顔を歪めたけれど、詮索の手を止めてくれた。しかし、もうひとつの手がぼくを絡めとった。

「ねぇ、もしかして、死神でも探しにいくのかい?」
「…ッ!」

 サザナミの言葉にぼくは全身の血が粟立つ。
 なぜ、とか、違う、とかぼくは言おうとしたが喉が張り付いたように言葉が出ない。そんな様子を見たサザナミは核心を持ったように笑った。

「やっぱりね、クリプタに用事のある一般人なんてそれくらいしかいないからねぇ」

 ハルカちゃん、やっぱりお客さんだったね。サザナミはそう言いながら怪しげな微笑を浮かべて、それから、彼に視線を送った。そのときの彼の表情はひどく強張っていて青ざめているようだったが、ぼくにはそれを認識する余裕はなく、ただ動揺していた。

 どうしようバレてしまった。ぼくは途端に惨めで恥ずかしい思いに駆られた。ひた隠しにしてきた思いをこうも簡単に暴かれるなんて。誰にも言うことも悟られることもなく隠してきた思い。

 死にたい、なんて

 そんなの口にしてしまったら、その安っぽさに、嘘くささに、決意なんて揺らいでしまいそうだった。それなのに、サザナミはへらりとした笑みを浮かべて真実を射抜いてしまった。それがまるで大したとこではないとでもいうよう口調で。

 ぼくはすっかり冷静さを欠き、鈍くなった脳みそで彼とサザナミをぼんやりと見た。だいじょうぶー?というサザナミの間延びした声を聞きながら、ぼくはただ逃げ出したいと思った。でも、体は動きそうもなくて、仕方ないから視線を伏せた。彼と目を合わしたくなかったから。

 知られたくなかった。彼にだけは、このきれいな少年にだけは。

 ぼくはよくわからないけれど、そう思っていた。なぜか、そう思っていたのだ。彼の瞳に映る自分くらいはきれいでいたかったのかもしれない。そんなどうしようもない傲慢な願いを抱いていたのかもしれない。

「……出て行け、」

 自分の思いにだけ捕らわれていてぼくに突然声がかかる。ぼくは急な言葉になんの反応も返せず、しばらくの間を置いてからやっと彼が喋ったのだと気付く。言葉を発した彼を無視するわけにもいかず、恐る恐る視線を上げる。彼の瞳にぼくは今どんなふうに映っているのだろう、思いながら。

 すると、そこにはぼくが想像もしなかった瞳があった。
 青みがかったグレイの瞳は苛烈な怒気を含んでいた。ぼくは思わず息を呑む。軽蔑、嘲笑、無関心、そんな瞳を想像した。まさか怒っているなんて。
 なぜ、そんな疑問がぼくのなかを過ぎるよりも早く、彼はぼくよりもずっと冷静さを欠いた声で怒鳴りつけた。

「今すぐ、出て行けっ!」

 びくっと、体が震えた。出て行け、そう言われた。ぼくは反射的に出て行かなければと思うのに、硬直した体はそれ以上動くことを拒否する。
 動こうとしないぼくに彼は苛立ちはじめる。ああ、動かなければ、と焦る気持ちがうずまくが、混乱を極めたぼくの頭は真っ白だった。本当に意味がわからない。なんだろうこの状況、と妙に冷静なもうひとりの自分が首をかしげるが打開するすべは見当たらない。
 狼狽するぼくは視線を彷徨わして、そして、ふとかち合ってしまった目にそういえば諸悪の根源がいたんだと気付く。そして、この際仕方ないと助けを請うように視線を送った。
 しかし、その視線は報われることはなく、サザナミは愉しそうに笑みを深めただけだった。

「……え、と、あの……」

 仕方ないので、打開案などなにも思いつかないままぼくは震える声を発してみた。しかし、それは逆効果で苛立ちと憤りを含んだ瞳がぼくを射抜く。
 だけどぼくにはわからなかった。なにが彼をそこまで怒りに震えさせているというのだ。ぼくが死にたいと思うことが彼にとってそれほど大きな問題だとは思えない。それとも、死神を探すことに怒っているのか?でも、なんで。ぼくが思考を巡らせていると、彼は感情を押し殺すような声を出した。

「……っなに、……ったいのかっ、」

 ぼくはうまく聞き取れなくて、え、と聞き返す。すると、彼はもう感情を押し殺すこともなく怒りを露わにして叫んだ。

「そんなにオレに殺されたいのか!」

 え、

 ぼくは思考が止まるのを感じた。
 声も出ない。ただ彼の言葉を噛み砕こうと鈍った脳で考え、そして、少しずつピースを当てはめるように結論を手繰り寄せていく。

 そういえば、サザナミはぼくをお客と言ってなかっただろうか。お客、彼のお客。そして、彼がこうまで憤る理由。そして、さっきの彼の言葉。

 オレにコロサレたいのか

 まさか、そう思うままにぼくは結論をぽとりと落とした。

「きみが、死神なの?」






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