!この小説は東野さんのブログ名「透きとおる、青」と同名の詩から妄想連想したものです!









 
 むかしの空はね、それはそれはきれいだったんだよ。青かったり、赤かったり、星がきらめいていたり、本当にきれいだったんだよ。

 3年前に死んだ祖母は口癖のようによくそう話していた。
 だけど、ぼくの知っている空は灰色だ。
 青い空などは絵本のなかの話、夢物語でしかない。

「リク、どうかしたの?」

 窓際に寄せた椅子に座りぼんやりと意味もなく外を見ていたら声を掛けられた。振り向くとそこにはルリが立っていた。

「……んーん、べつになんでもないよ」
「そう?」
「ん。……っと、危ない」

 ルリがぼくのほうへと手を伸ばしてきた。しかし、それと同時にその身はよろけそうになり、ぼくは慌てて立ち上がるとルリの手をつかんだ。勢いのついてしまった体はぼくの胸にそっとおさまる。
 黒髪から覗くつむじが見える。なんだか妙にかわいく思えてぼくはそこにキスをしたくなったけれど、その行動を起こす前にルリがぼくから離れて行ってしまう。

「っごめん!」
「いや……だいじょうぶか?」
「ん、平気」

 平気と言いながらもルリはなんだかもたついていてぼくはちっとも安心できない。近くにあった椅子を引きずり寄せるとぼくの椅子の隣りに並べて、有無を言わさずルリをそこに座らせた。ルリが戸惑うように視線を上のほうへさまよわす。立ち上がっていたぼくはルリと向かい合うように椅子に座るとルリの手をそっと握った。

「ぼくも座っているから、ルリも大人しく座ってろ」
「え……、ああ、そうなんだ」

 ルリの視線が真正面に来る。だけど、その瞳はいまいち焦点が定まっておらず、ぼくの方を見ながらもぼくを見てはいなかった。
 ぼくはなんだかたまらない気分になってルリの瞳から視線を逸らすと、握っていた手をきゅっとさらに強く握りしめた。

「リク?」
 
 すると、不思議そうな不安そうな声で名前を呼ばれた。ぼくはハッとして慌てて手の力を緩める。だけど、それに反するようにルリがきゅっと手に力を込めてきた。

「リク」

 今度は言い聞かすような、だけどやさしい声で名前を呼ばれた。ぼくは逸らしていた瞳をルリの瞳に合わせる。
 ぼくはその瞳に吸い込まれそうな錯覚をおぼえる。そして、あの夢を思い出した。
 ルリは黙って微笑んでいただけだったが、その瞳はまるでなにもかも知っているように思えて。ぼくの口からは話すつもりなどなかった言葉があふれでてしまった。

「……夢をみるんだ、」

 祖母が話してくれた青い空の夢。その青はたしかにとてもきれいで、泣きそうなほどきれいで。だけど、その青は次第にどんどん濃紺になり、最後にはいつも真っ暗になってぼくを飲み込んでいく。とても怖くて、怖くて、だけどなんだかぼくはひどく懐かしい気持ちになるのだ。
 でも、ぼくは青い空など見たことない。生まれたときから空は澱んで重たい灰色だ。
 ぼくは青など知らない。
 
 ぼくのたったひとつだけ知っている青は、

「……リク、だいじょうぶだよ」

 ぼくの取り留めのない夢の話を黙って聞いていたルリが静かな声をつむいだ。そして、握っていたぼくの手をそっと離すと静かに立ち上がった。ぼくはその姿を不安げに見つめていると、ルリはなにを思ったのか手探りで窓に触れて、それを開いた。
 キィっという音が響く。ぼくはルリのその行動に慌てた。焦りながら立ち上がると窓を開けようとするルリに反して、窓をバタンと閉めた。

「ッダメだよ!スモッグを吸ったらまた体調を悪くする!」

 叱りつけると、ルリはかなしそうな困ったような顔になった。

「……ルリ、ダメだよ、ダメ」

 ぼくは言い聞かすように言う。ルリがかなしむのは嫌だけど、これだけは許してあげれない。苦しむことになるのはルリ自身なのだから。

「……そんなに怒らないでよ。ぼくも感じたかったんだ」
「……なにを?」
「空を」

 ルリはそう言うと顔を斜め上に上げた。その姿は空を見つめているようであり、また探しているようでもあった。

「……ルリ」

 ぼくはなにも言えなくてただ名前を呼んだ。無神経な話をしてしまったと後悔する。
 すると、ルリはぼくの声にその後悔を感じ取ったのか、違うと首を振ってきた。

「そういうことじゃないんだ。ぼくは見えないけど、そのかわり感じることができる。空気とか感触とかそういものに色をみる。だから…」

 そこでいったん言葉を途切れさせたルリがぼくへとゆっくりと手を伸ばしてきた。その手はぼくの顔の上をなぞっていき、そっと頬に添えられた。

「…ぼくもリクをかなしませる灰色を感じたかった」
「…ッ」

 驚いて目をみはる。ルリはすべてを見透かすようにこちらを見ていた。
 その視線から逃れるようにちがう、ちがうとぼくは繰り返しつぶやく。

 ぼくは灰色をかなしいなんて思っていない。
 きみと一緒に見れない空ならば何色だって関係ない。

 かたくなにちがうと繰り返すぼくの頬をルリはやさしくなでる。そして、まるでぼくを許すようなやさしい声で問いかける。

「リク、きみがみる夢の青はどんな色なの?」

 その問いに心臓がきゅうっと痛んだ。切なくて、だけど伝わってくる温度はどもこまでやさしくて。

「教えてよ、どんな青なの?」

 その答えをルリに伝える術をぼくは持っていない。どう言葉を尽くしてもきみと同じ世界を見ることはできないのだ。
 だけど、それでいいと思った。こんな汚い世界はルリには似合わない。ルリのきれいな瞳には必要ない。

 でも、ほんの少しだけ、かなしい。

 ぼくは陶器のように白いルリの頬に手を寄せる。くすぐったようで、ルリはふふ笑いながらむずがる。ぼくはゆっくりと言葉をつむぎはじめる。

「……とても、とてもきれいな色だよ。かなしくて、でも、やさしくて。……ルリみたいな色だ」
「ぼくみたいな?」
「そう、そうだよ。ルリみたいな色、ルリの瞳みたいな色」

 青く透明な色がこちらをみている。その瞳でみる世界はさぞやうつくしいのだろうとぼくは想像する。
 だけどラピスラズリのビー玉はうつくしいだけの飾りものだ。
 ルリが、ルリだけがそのうつくしさを知らない。

 世界はきっともうすぐ最果てで、ぼくたちからすべてのものを奪っていく。

 ぼくの知っている空は灰色で、祖母の懐かしむ空はもうどこにもない。

 ただ、ぼくは空を知らないきみの瞳に青空をみる。
 1センチにも満たない小さな小さな空。だけど、それはきっと宇宙へと繋がっている。かなしみとやさしさを溶かしたようなあの夢でみた空へ繋がっているのだろう。

「ねぇ、リク。それじゃあ、ぼくの瞳はかなしくてやさしい色なんだね」
「うん、そうだよ。とてもきれいな青だ」
「そっか……だったら、きっと、ぼくの瞳はリクに青空を教えるためにあるんだね」

 こぼれおちる微笑みはどこまでもやさしくて、再び繋がれた手はとてもあたたかかった。ちらりと見た空はやはり灰色で、なんだか泣き出しそうだった。
 でも、ぼくはもうかなしくない。

 きみがいれば世界は色づくから。
 網膜にルリの瞳の色を焼きつける。
 ぼくはつま先立ちをして、ルリの瞼にくちびるを寄せた。

 目を閉じれば空がみえる。

 それはどこまでも、どこまでもつづく、




 透きとおる、






091202