夏休み。貧乏な学生にとってそれはバイトをする格好のチャンスである。三崎秀一(みさみしゅういち)も例に漏れずバイト三昧の日々を送っていた。

「いらっしゃいませ」

 ウィーンと機械音を立てて自動ドアが開いた。秀一は入ってきた華やかに着飾った二人のご婦人に向かって、にこやかに挨拶をした。しかし、内心ではご婦人が良く見知った常連客であることにうげぇと苦虫を噛み潰したような気分になる。

「あら、ミサキちゃん。今日も可愛らしいわねぇ」

 赤の上着を羽織ったご夫人が秀一に話しかける。

「いえ、そんな」

 ミサキチャンと呼ばれた秀一は悪態を胸中に何万と抱きながらも、にこりと笑顔を浮かべた。ご婦人二人組みは若くていいわねぇなどと嫌味とも取れる言葉を交わしながら、ふと店内を見渡した。

「あれ、由紀子さんは?」

 紫のインナーに黒の上着を着た婦人が訊ねる。由紀子とはこの店の店主である。

「今は奥に下がっていて……呼んできますね」

 秀一はご婦人に腰掛けて待つように促してから、下駄を脱いでゆっくりと座敷へと上がる。中腰になって下駄を揃えるのも忘れずにしてから、奥へ下がって行った。
 広い店ではないので声を上げれば奥へと声が届くのだが、この店でそんな品のないことはできない。かといってお客様を待たせていいわけでもないので、秀一はできるだけ急いで由紀子が居るだろう部屋へと向かうが、足に纏わり付く布が否が応にも歩幅を狭めてしまう。

(だーもーうっとしい!)

 秀一は内心で叫びながらも、辿り着いた部屋の扉を静かに開けた。そこには着物を整理する女性の後姿があった。

「由紀子さん、お客さんです」

 少しだけくだけた、どこか投げやりな物言いで秀一が告げれば女性が振り向いた。

「あら、ミサキちゃん」

 親しみのこもった声で名前を呼ばれて秀一は無意識に眉根を寄せてしまう。由紀子はその表情の変化に気づいたのかクスと目尻に皺を寄せて笑む。

「ふふ、ありがとう。ミサキちゃんはもう休んでていいわよ。うちの愚息が帰ってきたら、ここの着物片付けて置くように言っておいて」
「え、あ、はい」

 由紀子は実年齢よりもずっと若く見える微笑を浮かべて秀一を労うと、店の方へと去っていった。着物が散らかる部屋に一人残された秀一は、はぁぁと長いため息をこぼして床にどさりと座り込む。腹部を締め付ける帯を軽く緩めて、そのまま畳の上に寝転んだ。

(あー…なんで、オレこんなことしてんだろう……)

 三崎秀一、17歳、性別は男。彼は現在、女性用の着物を身に纏い呉服屋でバイトをしている。









「おい、三崎サボってんじゃないよ」

 畳の上でぐてーんとしながら休息を取っていたら、秀一の上に声が降ってきた。目を閉じて瞑想していた秀一はパチリと目を開けて声の主を探す。

「うっせー、べつにサボってねぇよ」

 店主から休憩の許可は貰っているのだから、サボリではない。秀一は自分を見下ろす和服を着た長身の男を睨みつけながら反論する。

「あ、そ。でも、その格好で寝転んでるのは、頂けないんじゃない?」

 その格好。秀一は現在女性用の着物を着ていたが、そんなことお構いなしに寝転んでおり、そのため着物には皺が寄ってしまっている。

「あーはいはいはい、すみませんでしたっ!」

 秀一は投げやりな謝罪をしてガバリと起き上がる。その様子に長身の男は呆れたようにため息を吐く。

「おまえって……なんか勿体無いよな、」
「はぁ?」
「いや、まぁ、なんでもない」
「意味わかんねぇこと言ってないで、そこの着物でも畳んでろよ」

 そういえば先ほど由紀子から伝令を預かっていたことを思い出した秀一が、散らばる着物を指さす。

「……ああ、母さんまたかよ、」

 長身の男は呆れ声で呟くと、スッと優雅な動作で畳みに座ると着物を畳み始めた。秀一はその動作を目で追い、座り込んだ男の背中を恨みがましそうに見る。

(こいつのせいでオレの夏休みが……)

 秀一は時給のいいバイトがあるからやらないか、と夏休み前にろくに話したこともないクラスメイトの男に話しかけられた。その男の名前は吾妻綾平(あずまりょうへい)、今は着物を畳んでいる男だ。吾妻はスポーツ万能で成績もそこそこ優秀で、おまけに顔まで良い。しかも、性格も良好なのか男女問わず人気が高く校内では有名だった。
 そんな有名人の吾妻綾平がなぜか、ろくに話したことのない秀一にバイトの話を持ちかけてきた。この時点で大抵の人だったら怪しいと思うのだが、生憎と秀一はどこか抜けていた。また、バイトを探していたこともあり、実家が呉服屋でその手伝いを……という話を容易く了承してしまったのだ。

(それが、まさか女装させられるとは普通思わないだろ)

 吾妻呉服店は男兄弟3人で(ちなみに綾平は次男だ)、女手は店主でもある母親の由紀子しかいない。そこで、女性の店員が欲しいと思ってバイト募集をした。だが、厳しい(特に女性には)由紀子のスパルタに根を上げたり、イケメンな3兄弟の誰かに恋にしてしまって仕事どころではなくなってしまったりで、ことごとくみんな辞めてしまったのだ。
 そこで苦肉の策として、女に見えればべつに女じゃなくてもいいんじゃないか!ということに至り……秀一はまんまとその餌食になったのだ。断ればよかったものの、初日に無理矢理に着させられた女性用の和服姿の写真を学校にばら撒かれたくなかったら、と脅されてしまったのだ。
 夏休み中、女装させられるのと学校に写真をばら撒かれるのとどっちがマシかは正直微妙な選択だ。だが、秀一は女顔がコンプレックスだった。小さな顔に、こぼれ落ちそうな大きな瞳、色素の薄い髪、小柄な体躯、その可愛い容姿のせいで学校では揶揄われることが多く、しかも、苗字が女性名に聞こえる「ミサキ」なのもあり、秀一=可愛いという定評は拍車を掛けていた。そんな状況の中で写真がばら撒かれればどうなるかなんて想像に容易すぎて、絶対に避けねばならいことだった。
 ろくに話したこともない吾妻が秀一に声を掛けてきた理由もひとえにその可愛らしい容姿のせいであり、なんで自分なんだ!と聞いたら「可愛かったから」で片付けられてしまった。

 秀一はその時のことを思い出し眉間に皺を寄せて、吾妻を睨みつける。だが、着物の片づけをしている彼はそれに気づかない。
 吾妻が着物を畳む姿はどこか洗練さを感じさせた。秀一とは正反対の吾妻はまさしくカッコイイという部類に入り、当然ながら身にまとう和服も男ので、それがまた嫌味なくらい似合っていた。
 着物を畳む動作に合わせて少し長めの黒髪がさらりと揺れる。真剣な横顔は男の秀一ですらドキリとさせる要素を持っていた。

(むかつく)

 吾妻の姿は秀一の劣等感を刺激する。理不尽な怒りだと思いながも、ギロリと吾妻をきつく睨みつける。

「ミサキちゃーん、ちょーっと!」

 すると、まるでそれを咎めるようなタイミングで店先から声が響く。品がないから大声を出すなと言っていた張本人が大声を出していてはどうしようもない。まぁ、店主である由紀子がこの店のルールだから構わないのだろう。

「あ、はーい!」

 秀一は返事をすると、慌てて店に向かおうとするが、はたと自分の格好に気づき立ち止まる。帯は緩み、合わせは崩れて、所々がヨレヨレになってしまっていた。
 自分で着直そうにも短期間のバイトの秀一には着付けの心得などない。

(あー……)

 ここで選べる選択肢は一つしかない。秀一は心底嫌だと思いながらも、仕方なく状況を理解しながらもそ知らぬ顔をしている男に声を掛ける。

「吾妻」

 声に反応して振り返った吾妻は、ふ、とバカにするように笑うと秀一に近付き着物に触れると、慣れた手つきで着付けを始めた。秀一はぶすくれた顔で言われるままに手を挙げたり向きを変えたりして、着付けされていたが、帯がきゅっと締まる感覚にうげぇと色気なく呻く。すると、吾妻はまたふ、と笑う。
 着せてもらっている立場上、文句を言わずにいたが臨界点の低い秀一はその笑い声にカチンときてしまい、悪態を吐こうと口を開く。しかし、それよりも早く吾妻が「ほい、できた」と言って秀一の背中を思い切り叩いた。

「ってぇよ、バカ!」
「はは、悪い悪い」

 怒る秀一に吾妻は微塵も悪いと思ってない声で謝る。秀一は吾妻を睨みつけるが、女顔と女装姿ではなんの効果もない。

「あーもーかったりぃー…」

 睨みつけても意味をないと諦めたのか、秀一は乱れてしまった髪を適当に直しながら店に向かおうとする。しかし、それを吾妻がふと呼び止めた。

「三崎」
「あぁ?」

 ガラ悪く返事をすると、吾妻が苦笑した。

「ちょっと……3秒だけ黙ってそこに立ってて」
「……は?」

 吾妻の言っている意味がわからなくて秀一は聞き返すが、吾妻はいいからと言うだけだ。いいから、と言われても秀一は意味がわからなくて首を傾げるが、それ以上なにも言わない吾妻に聞くのも面倒で、3秒くらいならばと素直にその言葉に従った。

 いち、

 にぃ、

 さん、

「…………うん、」

 3秒後、吾妻はなにも言わずにただ一人納得したように満足げにうんうんと頷いた。秀一はその態度にますます意味がわからなくて疑問符を浮かべる。
 さすがに気になって、なんだよと聞こうとするが、その前に早く来るようにとの由紀子の声が飛び込んできてしまった。

「母さん、呼んでるよ」

 訝しげな顔をした秀一に、なぜか満足げに微笑んでいる吾妻が声を掛ける。

「うるせぇ、わかってるよ。おまえが呼び止めたんだろ」
「あー、うん、そうだな、ごめん」

 やんわりと笑いながら謝る吾妻に秀一は苛立ちながらも、三度目の由紀子の声に慌てて駆け出すしかなかった。
 邪魔くさい着物の裾を裁きながら歩く秀一の脳裏には、自分をじぃっと見つめていた吾妻の顔がちらついた。


 なにもかも、さっぱり意味がわからなかった。






090610
趣味丸出し小説…。女装っていいよね←