ブログ1000HIT企画
リクエスト内容:ふわふわさらさら
達成度:3%









 放課後、夕日が差し込む教室、窓際に座る二人、他には誰もいない、つまり二人きり、まるでこの教室だけ時間軸が異なるような錯覚、遠くで部活動の喧騒だけが聞こえる、少しずつ現実引き戻される、一人が瞬きをする、もう一人は眠たそうに欠伸をする、ここは、どこだ、

 いや、だから放課後の教室だって。

 ゆくっりと瞬きをした上野はそう自分自身に突っ込みを入れた。まるでなにかときめくことが起こりそうな予感を覚えるシチュエーションに脳が勝手に妄想を繰り広げていたらしい。べつに妄想癖なんてないのに、と上野は自分の思考回路にげんなりする。
 それもこれも目の前に座るやつがいけない、と上野は男を睨みつけた。
 そう、男だ。
 あんな期待させるような冒頭を裏切るようだが上野の前に座るのはれっきとした男だ。(まぁ男という展開に煮えたぎっているお嬢様方も少なからずいるのだろうが)。その男――汐見(しおみ)は先ほどからつまらなそう顔をしており、身動きしたと思ったら欠伸しかしないという体たらくだった。
 ただ、夕日に照らされる横顔はとても綺麗だった。上野はその横顔をちらりと盗み見ながら「これは女子に騒がれるわけだ」と、しみじみと思った。普段親しくもないクラスメイトの男の顔をじっくり見る機会などないので、上野はいつもなんでこんな根暗がモテるんだ、と不思議に思っていたのだ。だが、こうして間近で目にしてみれば、長い前髪から覗く顔は確かに綺麗であった。うっかり同性の上野によからぬ思考を抱かされる程度には。
 しかし、いくら美形だと言っても上野とって汐見は同性だ。それ以上の感情が芽生えるわけもなく。ましてや女子のようにカッコイイからという理由で汐見を許せるわけもない。汐見がかわいい女の子だったら上野も存分に甘やかしたかもしれないが、先ほどから言っているように汐見は男だった。
 つまり、なにが言いたいかというと。

「汐見、おまえも仕事しろよ」

 少し低めの声を上野が発すると、汐見は窓に向いていた顔をを上野に向けた。長く垂れ下がった前髪の隙間から大きな目が、なに?と問い掛けてくる。
 声を発しろと思いながらも汐見の意図を汲めてしまった自分に上野は嫌気が差す。だが、その感情を隠して口を開く。

「仕事しろって、さっきからちっとも進んでないだろ」
「……ああ」

 汐見は今その存在に気づいたとばかりに自分の前に置かれた紙の山に視線を送る。心底どうでも良さそうな目である。上野ははぁと内心でため息を吐いた。

 (こいつなんのために居残ったわけ?)

 上野と汐見は本日日直だった。「う」と「し」で出席番号は近くないのだが、「みんな仲良くしよう」という今どき小学生でも鼻で笑いそうなことを教育方針に掲げる担任によって日直は男女関係なくランダム選出になっている。最初こそ生徒から苦情も出たが、刺激の少ない学園生活においては些細な変化も楽しめるということで、今では次は誰となるのかと密かな楽しみにすらなっている。
 そして上野と汐見は本日そんなお楽しみイベントに抜擢されたわけである。いや、ただの日直だけど。
 そう。ただの日直なのだ。気になっていた異性か親しい友人と一緒にでもならない限りは至極つまらなく面倒なイベントである。
 ましてや言葉を交わした記憶のない同性などというのは気まずいだけだ。もし、上野が女だったらガッツポーズをしているとこだろうが、生憎どこからどう見ても男だったし、当然そういう趣味だってない。
 しかも、相手はあの汐見だ。汐見と言えば、女子に騒がれる美形というのも有名だが、サボリ魔としても有名だった。授業もそうだが、イベント事や仕事は一切不参加を貫いてきている男なのだ。
 そんな男だと上野も知っていたので今日は一人作業だと思い、しかもそんなときに限って担任から雑務を押し付けられたりして気分は最低だった。しかし、そんな上野の予想は外れて意外なことに汐見はちゃんと居残っていた。

 そして今に至るわけだが。
 汐見は確かに居残っていたが、仕事をする気配はまったくなかった。仕事といっても数種類のプリントを一枚ずつ重ねてホチキスで閉じるという単純作業だ。難しいことなどありもしない。しかし、汐見の手は一向に動く気配を見せない。一方の上野のほうは着実に仕事を進めて完成品を積み上げている。
 パチリ、という音がして上野はまたひとつ束を積み上げる。しかし、汐見はやはり手を動かさない。先ほど上野が指摘した言葉に肯きはしたものの、どうやら肯いただけだったようだ。
 
 イラッ
  
 その態度に上野は苛立ちを覚える。別にこの程度の仕事ならば一人でこなせるが、居るなら手伝ってほしいし、手伝う気がないなら目障りなだけだ。会話もなく気まずさだけの空間はストレス以外のなにものでもない。

「汐見、おまえ、か」
「あのさ、」

 帰れよ、耐えかねた上野は汐見にそう告げようとした。だが、その言葉は遮られてしまった。 中途半端に止められた言葉は行き場を無くして、「か」と「え」の中間の口をした上野はまぬけ面を晒していた。
 汐見はそんな上野の顔を真正面にとらえる。きれいな顔だな、と上野は改めて思ったが、すぐにハッとしてまぬけに開けられた口を閉じた。その一連の顔を動きを汐見はしっかりと見ていたはずだが、笑いもせずなんの反応も示さない。ただ優雅とも思える動作でまばたきをしたあと、ゆっくりと声を発した。

「前世って信じる?」
「………………は?」

 言葉を理解するまで数秒の間を要した。いや正確には理解など到底できていない。上野は再びまぬけ面を晒すはめになった。それに反して汐見は無表情だった。冗談を言っているような顔ではない。どちらかと言うと真剣みさえ帯びている。
 前髪の隙間から薄茶色の切れ長の瞳が上野を射抜く。その視線の強さに上野は少しだけたじろぐ。
 すると、その様子がおかしかったのか、またはべつの理由か汐見はふっと小さく笑みをこぼす。そして、楽しそうな声を出した。

「前世、俺は猫だったの。可愛げのない汚い野良猫だった」

 気だるげな返事しかしなかった男とは思えないほど、汐見の声は弾んでいた。そこには「だった」と過去形で話すだけあって、どこか懐かしさを滲ませてはいたが、とても楽しげな声だった。
 その声に釣られて上野の心も弾むわけもなく、むしろどんどん彼の心は重く沈んでいった。
 
(なに言ってんのこいつ、電波か!?こいつ電波だったのか!?)

 上野は内心で叫ぶ。表情は苦虫を噛んだようになる。だが、汐見にそれは伝わらない(いや気にしていないだけかもしれないが)。それどころか、なにかを思い出すような遠い目をしたと思ったら、再び口を開いた。

「……その野良猫は本当に可愛くなくて誰も近づこうとしなかった。本当に誰も。でも野良猫はそれでいいと思っていた。人間なんて嫌いだったから。でも、その野良猫に近づいてくる奴がいたんだ。バカそうな顔をした男だった」

 上野の心情など無視して語り続けていた汐見がふと言葉を止めた。そして、意味深な視線を上野に送る。

「……なんだよ」
「いや……なんでもない」

 なんでもないって顔してないんだけど。上野はそう思いながら、口に出すことはしなかった。聞けば藪をつついて蛇を出しかねない。しかも毒蛇を、だ。
 上野は関心の無いふうを装ってホチキスで紙を綴じる。

(もう話は終わったのか?)

 だったらさっさと終わらせて帰りたい。こいつと居るとろくなことにならなそうだ。というか、すでに最悪だ。上野は手の動きを早めて紙を綴じていく。すると、その様子をじ、と見ていた汐見が視線を再び遠くへやってまた口を開き始めた。その声に上野はまだ続くのかよ、とげんなりした。

「でさ、そのバカそうな男はしつこくて、俺の住処に何度も餌を運んできた」

 汐見の語りが今度は野良猫ではなく俺になっていることに気づいた上野はさらに嫌そうな顔になる。でも、汐見の語り口は大人しくなるどころか、さらに楽しげになる始末だ。

「俺は最初は警戒してて、餌を食べなかったけど、あまりにしつこいし、実際のところは腹ペコだったからそのうち餌を食べるようになった。そんなやり取りがしばらく続いて、俺はそのうちその男に気を許すようになったんだ。頭を撫でさせてやって、ときにはそいつの膝の上で眠った。嵐の日にそいつの家に行ってからはそのままそこに居つくようになっちゃって。それは、とても幸せだった。本当にとても。もうどこにも汚くて可愛くない野良猫はいなかった。……でも、」

 楽しそうに"思い出"を語っていた汐見の声のトーンが急に下がった。不審に思った上野は作業の手を一瞬止めて、汐見の方を見る。だが、汐見は夕日も沈んで暗くなった外を見つめていて目が合うことはなかった。

「……幸せは長く続かなかった。そいつは猫缶を買いに行くっていったきり帰ってこなかった。……交通事故だった。しかも、飛び出した子猫を助けようとして、車にはねられたとか……本当バカとしか言いようがないよな」

 ふ、と汐見が笑う。その笑みはつらそうで痛そうなものだった。その横顔を直視してしまった上野は見てはいけないものを見たような居心地の悪い気分になる。だけど、なぜか汐見から目を逸らすこともできない。
 まずい、と上野の中で警鐘が響いた。一体なにに対する警鐘なのかはわからなかったが、ただ、毒蛇が出てきそうな予感がした。

 外を見ていた汐見が上野の方を向く。蛍光灯に照らされた汐見の顔はうつくしかった。薄茶色の意外と大きな瞳が、上野の瞳を見つめる。上野はとっさに目を逸らさなければと思ったのに、まるで引力に引き寄せられるように身動きが取れなかった。

「そのバカな男っていうのが……上野、おまえだよ」

 飴玉みたいにきれいな瞳が光った。上野の背中にゾクリと悪寒が走る。汐見の瞳はまるで猫みたいで、猫のようで、猫で、猫だ、猫だった、ねこ、ネコ、ねこ、ねこ、ねこ、

 ね、こ、?

「……し、おみ、」

 上野はほぼ無意識のうちに掠れる声を発していた。その小さな声を聞き逃さなかった汐見は薄茶の瞳をゆっくりとしならせる。

「にゃあ」

 まぬけな鳴き声が教室に響いた。







   居心地良い場所







 汐見の前世は猫だった。上野はその飼い主で、二人は来世にて無事再会を果たしたのだった。
 
 と、そんなわけもなく。

「汐見、おまえ俺に付きまとうのやめてくれない?」
「にゃー」
「……うるさい黙れ」
「ふ、冗談の通じないやつ」
「おまえのソレが冗談なのかどうかを俺は見極められません」
「あはははは」
「笑ってんじゃねぇよ」

 日直で一緒になった日から汐見は上野につきまとうようになっていた。昼食になれば一緒に食べよう、放課後になれば一緒に帰ろう、と近寄ってくる。それは上野にとっては迷惑極まりないことで、汐見から逃走を試みるがなぜかすぐに見つかってしまう。
 もう疲れたと半ば諦めたのがここ数日のことである。
 ちなみにあの日汐見が話した電波な与太話の真相はいまだ謎のままだ。あのあと、残っている生徒は帰るようにとの校内放送が流れて変な雰囲気は崩れた。そして、汐見は「冗談だよ」と揶揄うような笑みを見せたあと、上野を残してさっさと帰っていってしまった。
 残された上野は苛立ちとわけのわからない感情を持て余しながら、乱暴に雑務をこなしこなしていた。上野は基本的に真面目っ子なのであった。

「なぁ、このままサボらない?」

 屋上にて昼食を食べ終わりそろそろ授業5分前のチャイムが鳴り響きそうなころ、汐見がふと楽しげに声を上げた。

「ああ?いやだよ……ただでさえ妙な噂立ってんのに」
「妙な噂って?」
「…………」

 俺とおまえがデキているとかそういう噂だよ!と、言えるわけもなく、上野は微妙な顔をして黙り込んだ。
 汐見はその顔に首を傾げながらも、その先を追求することはしない。噂には事欠かなく、慣れている汐見なので興味も湧かなかった。

 春先の生暖かい風がふいに通り過ぎる。汐見の長い前髪が吹き上がって、きれいな顔が覗く。端整にできた顔立ちに切れ長の瞳、女顔だが甘すぎず、正しく美人という感じだ。
 上野は思わずその顔に見惚れてしまった。本当に顔だけはきれいなやつだ。性格は最悪だけど。
 ほんと、最悪だ。変なやつだとは思っていたが、まさかこれほどまでに電波野郎だったなんて。汐見のファンクラブ(ってのがあるらしい)の女生徒にこいつの本性を吹聴して回りたい気分だ。
 上野は疲れたようにため息をついた。

「まじでサボっちまおうかなぁー…」
「お、やったね!」
「だれもおまえとサボるとは言ってねぇ、てか、おまえは授業出ろよ。ヤバいんじゃないのか?」
「んー…留年するかもねぇー…」
「他人事かよ……」
「まぁ、なんとかなると思うよ。テストはそこそこの点数キープしてるし、問題ないない」

 汐見はあははと笑う。こんなふうに声を立てて笑うやつだということを知っている人はこの学校にどれくらいいるのだろうか。上野はふとそんなことを思った。

「で、サボるの?」

 汐見がニヤニヤしながら聞いてくる。上野は苛立ちを覚えながらも、もう既に授業なんて気分じゃなかったので、返事の代わりに屋上のアスファルトに寝転がった。これでまた妙な噂に拍車を掛けてしまったのだろうか。

「なに、寝るの?じゃあ、俺も寝よう」

 汐見は上野の隣りにごろりと寝転がる。

「……なんで隣りで寝ようとしてんだよ」
「まぁまぁ気にするな」
「気にするわ!」
「猫だと思って」
「思えるか!ぜったいに思えるか!」
「まぁ、"元"猫だけど」
「問題はそこじゃない!つーか、離れろ!」
「にゃあ」
「にゃあじゃねぇえ!」
「にゃあ、にゃあ、」

 汐見はついに上野に擦り寄る。その姿はさながら大きな猫のようだった。上野は授業に出ればよかったと後悔の念を抱いた。

(ああ、くそ、)

 抵抗に疲れ仰向けに脱力した上野は内心で悪態をつく。

「にゃあ」

 猫がなく。見上げた空はむかつくくらい青かった。







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(協力者:旦那)